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社長の決断は、いつも正しい。それでも失敗だったと思える理由


下した決断はいつも正しく、それでも失敗だったと言える事実

経営の現場から一歩離れて、しばらくが経った。

毎日、数字と向き合い、社員の顔を見て、取引先と交渉していた・・・
そんな日々から距離ができて、ようやく見えてきたことがある。

それは・・・自分が下してきた決断は、そのどれもが「正解」だったということ。
そして、その正解の大半が、視点を変えれば「失敗」だったという、矛盾とも言える事実だった。

社長の左腕 LINE公式

決断の「正しさ」と、結果の「正しさ」は別物

社長というのは、会社の強みも弱みも知っている。商品のことも、お客様のことも、業界の空気も、誰よりも肌で分かっている存在だ。

だからこそ、その社長が下す決断というのは、その瞬間においては間違いなく最善の一手であるはずなのだ。

新しい設備に投資した時も、新規の販路に打って出た時も、幹部の抜擢を決めた時も、その都度、手元にあるすべての情報を並べ、考え抜いた末に出した答えだった。
誰かに相談する余裕もなく、自分の判断だけを頼りに前へ進むしかない場面が、経営という現場では何度も訪れる。

松下幸之助は、「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続けていけば、それは成功になる」という言葉を残している。

経営者として指揮を執っていたとき、正にこの言葉を念頭に私は動いていた。
それが突如として経営を離れざるを得なくなったことで、その瞬間に動かしていた全てが完全なる「失敗」となってしまった。
あの瞬間の「諦め」が決定的な失敗を生んでしまったのだ・・・。

あの言葉を、私は経営を離れてから、以前とは違う角度で受け止めるようになった。

決断そのものの質と、その決断が生んだ結果の質は、別の軸で測るべきものだということ。

判断は正しかった。
持っている情報のすべてを使い、あの瞬間にできる最善を尽くした。
それでも、結果は思うようにならなかった・・・そういうことが、経営には当たり前に起きる。

情報の量でも、覚悟の強さでも測れない何かが、そこには確かに存在している。

後悔は、いつも「時(タイミング)」と「規模感」に集約される

振り返ってみると、自分が悔やんでいる決断は、判断そのものの誤りではないことに気づく。

動くべき方向は、いつも正しかった。
ただ、動き出す「時」と、踏み出す「大きさ」を見誤っていた・・・そう捉えるべきものが、驚くほど多い。

もう少し早く仕掛けていれば、状況は違っていたかもしれない。逆に、社内の体制がもっと整うまで、辛抱して待つべきだった場面もある。

小さく試すべきだった投資を、勢いのまま大きく張ってしまったこともあれば、反対に、思い切って一気に踏み込むべき瞬間に、慎重になりすぎて機を逃したこともある。
スピードを優先した結果、詰めが甘くなり、後になって手痛いしっぺ返しを受けたこともあれば、逆に、迷い続けたことで、確実に手に入れられたはずのものを、みすみす失ったこともある。

一度決断して走り始めると、一定の結論が出るまで、途中の気づきを無視しがちだ。その結果として、どちらに振れたとしても、後になれば反省することも多い。
経営とは、そういうものだと思う。

判断そのものは正しい。狂うのは、いつも「間(あいだ)」の取り方だけ・・・。

これは弱さではなく、社長という仕事の宿命

ジェフ・ベゾスは、アマゾンの株主への手紙の中で、たいていの決断は、欲しい情報の七割ほどが集まった段階で下すべきだ、という趣旨のことを語っている。
すべての情報が揃うのを待っていては、決断そのものが遅れてしまう、という考え方だ。

何故、この考え方が正しく思えるのか・・・。
決断をし、スタートを切らなければ何も始まらないから・・・。そして、スタートしてからでも新しい情報によって、進む方向はいくらでも変えられる。
自転車でもそうだろう。止まっているときよりも、動きながらの方が方向は変えやすいものだ。

社長業というのは、まさにこの「七割の情報」で、答え合わせのできない問いに、常に向き合い続ける仕事なのだと思う。
問いの立て方そのものが、答えの正しさよりも重い意味を持つ場面が、経営には数え切れないほどある。

未来の需要も、競合の動きも、社員の成長速度も、正確には誰にも分からない。分からないままに、期限を決めて、腹を括って、決めなければならない。

これは経験不足でも、能力不足でもなんでもない。
「未知と向き合う」という、社長という立場そのものが背負っている宿命なのだと、今でも思える。

反省すべきことは山のようにある。
それでも、あの決断の瞬間にできる最善を尽くしたという事実は、消えない。

もし、隣に経験を知る誰かがいたら

その当時から、ふと、想像することがあった。

それらの決断をする瞬間に、同じような修羅場を、別の会社で、別の時代にくぐり抜けてきた人間が、隣に座っていてくれてたら・・・。

情報をくれなくても、また答えを持っていなくてもいい。
ただ「時(タイミング)」と「規模感」の感覚だけを、もう一つの目として貸してくれる存在。
そして走りだした後、前しか見れない私(経営者)の横で、常に冷静に情報を取り、進むべき方向の見極めをし続けてくれる存在。

たとえば、スピードを優先しようとする場面で、「この勢いのまま進めるのは、少し危ういかもしれない」と、経験に基づいて一言だけを添えてくれる人がいたら。
あるいは、決断を先延ばしにしている場面で、「今の尻込みしてるような状況は、時間をかけすぎじゃないか?」と、背中を押してくれる人がいたら・・・。

チャレンジの結末は、変わっていたのだろうか。

答えは分からない。
ただ、経営という孤独な意思決定の場は「未知との闘い」、だからこそ、もう一つ「経験」という視点が加わることには、確かな意味があるのだと、今の私もそう感じている。

決断そのものは、社長自身のものであるべきだ。それは変わらない。

でも、その決断の「時(タイミング)」と「大きさ」を見極める場面に於いて、隣に立ち、同じ土俵で汗をかきながら伴走してくれる誰かがいる・・・
そんな存在の価値を、離れてみて改めて考えている。

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